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広島郷土勉強会レポート

藤野綿業は、現在は、存在しておりませんが、

明治から昭和期に活躍した企業として、

 

広島の企業でありながら、

 

日本における存在感、そして、その役割は大きいものでした。

 

本レポートは、その藤野綿業の歴史、または功績について、紐解いていきます。

​【序】“「わた」と「広島」”

元和五年(今より約400年前)、

浅野氏は、紀州より広島に入国されるや「綿」を以て国産たらしめんとし、

種々奨励の途を講ぜられました。

そして、寛延年間(約300年前)、

当時民設の「綿改所」を藩の保護の下に設け、綿作を奨励し、

 

大いなる品種の改良と増産の結果、

 

名声を博するにいたり、

 

「綿」の広島として、

 

四隣に鳴り響くことになります。

「広島綿」は、

国内芸州(今の広島)における消費以外に大部分を他国に移出しており、

製糸原料としての製綿技術に秀で、この技術を布団綿用製綿に転用することにより、

広島における製綿発達に起因し、

 

国内一といわれる歴史と伝統を有する所以となりました。

藤野綿業は、

このような広島での状況下において、

製綿業界で重要な役割を果たし、大躍進したのです。

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